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すまい&町並み 今昔物語



第二章 同潤会アパートへの旅


写真・解説 並木克敏







はじめに 同潤会アパートについて


【私の第一印象 異様な代物】


この「同潤会アパートの旅」に掲載してある写真の多くは, 1970年以前に撮

影したものである。当時の日本では, 同潤会アパートは時代遅れの汚いも

のとみなされ, 振り返る者とていない状況であった。そんなとき友人から古

臭いアパートがあると知らされ, 興味本位に訪れたのが江戸川アパートで

あった。国電飯田橋駅で降りて, 大通りを歩むにつれて徐々に現し始めたそ

の姿は異様であった。その外観は, 社会党の浅沼稲次郎氏が生前に住ん

でいた本所深川のアパートと酷似していた。薄汚く近づきがたい代物という

のが, 私の第一印象であった。



【居場所のある空間】


江戸川アパートの大きな中庭から, 階段室の踊り場を通り, 少し薄暗い廊下

を歩むにつれて, それまで自分が親しんできた戦後の近代建築とは異なる

空間の質を感じ始めるようになった。自分の住まいでもないのに, 妙に落ち

着くのである。戦後の近代建築は, 私の心や身体とは関係のない無機質な

物質を寄せ集めただけで, 自分の居場所がどこにもないのである。ところが

江戸川アパートには, 生きとし生けるものの居場所があった。この新鮮な体

験が同潤会アパートに係わり始めた理由である。



【「無償のプレゼント」として公開】


同潤会アパート関係のホームページを開いてみると, 特に青山アパートの

場合がそうであるが, 戦後に分譲された後で, 各自がおもいおもいに改造し

たため, 竣工当時の姿を留めていない。あるいは最近のものでは, 住み手

が退去した後の解体寸前の廃墟の風景も少なくない。私が写真を撮り始め

1970年以前は, 高度経済成長による恩恵が隅々まで及んでいなかったた

めか, 室内の狭さにも拘らず, まだそれほどに改造されることもなく, 地区全

体に生活感が漂っていた。そんな生き生きしていた時代の同潤会アパート

の風景を, 提供したいと思う。このまま書斎の本棚に置いていたのでは, い

ずれ死物化してしまうので, 同潤会アパートの在りし日の楽をしんでいただ

ければ幸いである。また, 同潤会アパートを調べている過程で, 今では故人

になられた土岐達人氏などの大先輩から, 直接伺った貴重な証言も付け加

えておきたい。私のささやかな読者への「無償のプレゼント」である。






同潤会と関東大震災


同潤会は, 大正12年 (1923年) 9月の関東大震災によって生じた罹災者の

救済を目的に, 翌年の5月に財団法人として設立されました。震災に伴い内

外から寄せられた義捐金のうちから, 1,130万円の交付を受けて, 財団法人

同潤会は活動を始めました。同潤会が当初手がけた事業は, 緊急を要する

罹災者のための「仮設住宅」と, 住宅不足を解消し低所得者層の生活保護

を目的とした恒久的な「普通住宅」, それに地震国の日本にも耐えうる「コン

クリート造のアパートメント」が三本柱でした。のちに義捐金の追加交付を

受けて, 大正15年はスラム改善のための不良地区改良事業を行い, さらに

昭和3年には政府からの低利資金を受けて, サラリーマンおよびブルーカラ

ー向けの分譲住宅を建設しました。設立当初の大正13年から, そのすべて

が住宅営団に引き継がれる昭和14年(1939年)までに, 総戸数10,864戸の

建設を手がけました。





同潤会 建設住宅の分布図 (東京・横浜) 】









財団法人同潤会に関する基礎資料編


関東大震災の被害状況

■ 財団法人同潤会の建築家山脈





■ 同潤会アパートの旅



【 コンクリート造アパートメントの建設 】


ここで紹介する「コンクリート造アパートメント」の建設は, 死者行方不明

10万5千人余, 全壊10万9千余棟、全焼21万にもおよぶ, 関東大震災によ

る未曾有の被害状況が背景になっていました。建物倒壊などの圧死と同時

に、木造住宅の火災による死者が多くを占めたのです。同潤会は, 「コンク

リート造アパートメント」は, すぐれた耐震耐火構造に着目したのです。

「コンクリート造アパートメント」は, 当初は大正13年度からの2ヵ年継続事

業として, 1000戸が計画されていましたが, 実際には昭和9年までに, 東京

と横浜の15ヵ所計2508戸が建設されました。東京は青山アパートや代官山

アパートを含め13ヵ所, 横浜は山下町アパートと平沼アパートの2ヵ所で, こ

れらの多くは火災延焼区域にあたっていました。アパートメントの設計にあ

たって, 当時の日本では設計者側にとっても, 入居者側にとっても, ほとんど

経験のない住居形式でした。他人同士が上下に重なって暮らすという住居

形式は, かなりの抵抗があったようで, 入居受付の際に, 多くは一階を希望

したといいます。結局のところ, 設計者側にとっては, 「コンクリート造アパー

トメント」という耐震耐火構造への信頼と, 入居者側の伝統的な住み方への

執着に, 折り合いをつける試行錯誤の作業であったように思います。同潤

会による「コンクリート造アパートメント」の建設は, 日本の住宅史の上で直

面した課題に, 日本の建築界が総力を結集して産み出した偉大なる作品と

いうことができます。




【 コンクリート造アパートメントの着工時期 】


アパートメントと共同住宅を着工時期順にみると, 以下の通りとなります。

 大正14年度
東京江東・中之郷アパート 東京渋谷・青山アパート 
東京墨田・柳島アパート  東京渋谷・代官山アパート 
大正15年度 
 東京江東・清砂通りアパート  神奈川横浜・山下町アパート
 神奈川横浜・平沼アパート 東京江東・住利共同住宅 
昭和2・3年度 
 東京港・三田アパート  東京荒川・三ノ輪アパート
東京荒川・鶯谷アパート   
 昭和4年度
 東京千代田・虎ノ門アパート  東京文京・大塚女子アパート 
 東京台東・上野下アパート   東京江東・東アパート 
昭和7年度 
東京新宿・江戸川アパート 




 
【同潤会アパートへの旅 目録】

 

(01) 東京渋谷・青山アパート


 

(02) 東京渋谷区・代官山アパート


(03) 東京江東区・中之郷アパート


 

(04) 東京墨田・柳島アパート



 
(05) 東京江東区・清砂通アパート




(06) 神奈川横浜市・平沼町アパート



 

(07) 神奈川横浜市・山下町アパート



 
(08) 東京江東区・住利共同住宅




(09) 東京港・三田アパート



 
 
(10) 東京荒川区・三ノ輪アパート



 
(11) 東京荒川区・鶯谷アパート



 
(12) 東京文京区・大塚女子アパート



 
(13) 東京台東区・上野下アパー



 
(14) 東京新宿区・江戸川アパー










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