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財団法人同潤会の建築家山脈


解説 並木克敏








財団法人同潤会の建築家山脈


定説 村松貞次郎著「日本建築家山脈」

「同潤会十年史」や「同潤会十八年史」」には, 会長をはじめ理事や評議員

について, 就任時期など詳細に記載されているのに, 同潤会の設計メンバ

ーについては一言も触れられていない。ウィキペディアによると, 設計者に

ついて「建築部長を務めた川元良一をはじめ、鷲巣昌・黒崎英雄・拓殖芳雄

・土岐達人ら東京帝国大学建築学科出身者(内田の教え子たち)が多く在

籍した」とあるが, どこを調べてもこれが定説となっている。この説の出所は

, 村松貞次郎氏の「日本建築家山脈」 (鹿島研究序出版)の中に にありそう

である。村松氏が, 生前の川元良一氏から聞いた話を記述したものと同じ

であるからだ。村松氏は次のように書いている。「建設部の人材としては,

(川元の)五年後輩の鷲巣昌をはじめ, 黒崎英雄・拓殖芳雄・土岐達人ら東

大大正十四年卒の, いわば内田祥三のスクールの若手たちも参加し, 内田

教室の出張所の観がある」 ( P185「川元良一の話」)


土岐達人氏の証言を得る

ずいぶんと昔になるが, 法政大学建築科の森田茂介教授の計らいで, 土岐

達人氏を紹介していただき, 直接に話をうかがったことがある。
土岐氏によ

れば,
内田祥三先生の紹介 (実際には命令) で, 拓殖芳雄は同潤会に,

私は浴風会
に就職したが, 同潤会とは職場が近かったので, よく遊びに行

ったが, 設計はノータッチ」ということであった。また土岐氏は, 「設計メンバ

ーの中の当時の序列は,
川元良一を筆頭に鷲巣昌, 拓殖芳雄の順であっ

た」と裏話を教えていただいたりもした。



定説の書き換えを

したがって,「建築部の人材としては, (川元部長の)五年後輩の鷲巣昌をは

じめ, 拓殖芳雄・黒崎英雄
ら東大大正十四年卒の, いわば内田祥三のスク

ールの若手たちも参加し, 内田教室の出張所の観がある」
と書き換えた方

が正確かと思う。


同潤会の設計メンバーについては, 村松貞次郎氏の「日本建築家山脈」が

主な出典であり, あとは断片的な記事を寄せ集めするしかないようである。

今なお, 同潤会の設計者の全貌が
見えないのである。





【 メンバー略歴 】

内田祥三 うちだ よしかず (東京大学 明治40年卒)

明治40年 三菱地所入社
明治43年 東京大学大学院進学 (RC造の研究)

明治44年 東京大学講師
大正12年 東大営繕課課長事務取り扱い ✳-1 参考
大正13年 同潤会理事 (大正13年6月~昭和3年3月) ✳-2
(✳-2 「同潤会十年史」に記載)

昭和3年 同潤会評議員 (昭和3年3月~)
✳-3
(✳-3 「同潤会 昭和12年事業報告」に記載)
昭和4年 
東京大学建築科主任 (佐野利器退官に伴い)
✳-4 参考

後に東京大学総長

✳-1 参考
「東大営繕課のメンバー
清水幸重 (東大・大正3年卒) 柘植芳男 (東大・大正14年卒)
土岐達人 (東大・大正14年卒)
 渡辺 要 (東大・大正14年卒)
小野 薫 (東大・大正14年卒)

✳-4 参考 「東大建築科教授陣 (昭和5年)」
教授 
内田祥三 (東大・明治40年卒) 岸田日出刀 (東大・大正11年卒)

助教授
藤島亥次郎(東大・大正14年卒) 武藤 清 (東大・大正14年卒)
浜田 稔 (東大・大正14年卒) 平山 嵩 (東大・大正15年卒)





川元良一 かわもと りょういち (東京大学 大正3年卒)

大正3年 三菱地所入社 (技師長に桜井小太郎)
大正13年 同潤会建築部長 (大正13年~昭和3年) ✳-1
(✳-1
村松貞次郎「日本建築山脈」に掲載 内田理事の紹介とある)
虎ノ門アパート 設計担当 ✳-1
昭和4年 設計事務所開設
昭和6年 九段会館 (旧軍人会館)






中村 寛  (東大・大正6年卒)

大正6年 文部省入省 都市計画委員会技師
大正9年 都市計画及住宅問題調査のため欧米派遣 帰国後, 復興局技師

大正13年 内務省社会局技師  ✳-1
(✳-1 略歴については 高等建築学月報11号」 (昭和8年11月29日) に掲載
目下 (注 昭和8年の時点という意味=並木)
不良地区改良事業の立案及実施を担
当せられ傍ら同潤会の住宅経営に関する建築一切に関係せらる」とある。 ✳-2
(✳-2 高等建築学月報11号」 (昭和8年11月29日)に掲載)

また東京芸大の天野太郎教授から同潤会への関与の証言を並木が直接得る。
昭和8年時点 同潤会「勤人向分譲住宅」 325戸の設計に関与
「設計実例は著者の関係せる同潤会の分譲住宅に就いて説明する。・・中略・・
其の内主として著者の関係せる325戸に就いて説明しようと思う」とある。 ✳-3
(✳-3 
中村寛高等建築学第25巻 第26編住宅経営」に掲載)

昭和8年 中村寛「高等建築学第25巻 第26編住宅経営」 (常盤書房 昭和8年)





鷲巣 昌 わしのす さかえ  (東大・大正8年卒)

同潤会設計関与 ✳-1
(✳-1 村松貞次郎「日本建築山脈」に掲載 )
土岐達人氏によれば, 鷲巣昌は川元に次ぐ, 当時No2の実力者であった
という証言を並木が直接得る






岸田日出刀 きしだ ひでと  (東大・大正11年卒)

大正11年 東大営繕課
大正13年頃 
内田教室で同潤会中之郷アパート担当 ✳-1
(✳-1 村松貞次郎「日本建築山脈」に掲載 )
昭和4年 東大教授





柘植芳男 つげ よしお  (東大・大正14年卒)

大正14年 東大営繕課
大正14年~16年 同潤会設計関与✳-1
(✳-1
村松貞次郎「日本建築山脈」に掲載 )

昭和5年 翻訳「最小限住居」(構成社書房)





黒崎英雄  (東大・大正14年卒)
大正14年頃 同潤会設計関与
昭和3年 同潤会建築課長 (川元良一建設部長の後任)✳-1
(✳-1 村松貞次郎「日本建築山脈」に掲載 )
設立当初, 事務組織として庶務部と建設部の二部で構成されていたが, のちに
設計部門は建築課に改編される。




工事中

加護谷祐次郎  (東大・明治37年卒)
同潤会猿江共同住宅関与
佐野利器  (東大・明治36年卒)
同潤会評議員(大正13年~昭和7年)
田辺淳吉  (東大・明治36年卒)
同潤会評議員(大正13年~大正15年)
新名種夫
同潤会設計関与
服部八十利

同潤会設計関与






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