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すまい&町並み 今昔物語



第一章 東京下町風景への旅


(01-02) 文京区根津一丁目界隈


写真・解説 並木克敏







■根津一丁目界隈■



【 交通 】

根津一丁目の見所は, なんと云っても「根津神社」であることは間違いない

でしょう。地下鉄千代田線の「新御茶ノ水」から二つ目の「根津」駅で下車す

るのですが, 根津駅は改札口が二つあり, 「千駄木」寄りの改札口が便利で

す。改札口を出て階段を登り切ると, 不忍通りに出ますが, そこから歩道沿

いを左に進むと, 三つ目の信号機の上に「根津神社入り口」の表示があり

ます。地図の青線部分が, 根津神社門前通りで, 根津一丁目のメインストリ

ートでもあります。


   
あまり特色のない不忍通り  根津神社門前通り入口  




根津一丁目界隈の民家

赤囲い 1993年時点現存 撮影









【 根津神社門前通りとその付近 】

 
 根津神社門前通り 2011年撮影


《 表具師の家 銭湯・山の湯 》


根津神社の門前通りを入ると, 直ぐ右手に「表具師の家」があり, その斜め

左手に「銭湯・山の湯」があります。「表具師の家」は, 1993年の当時のま

まで, 「ささらこ張り」の木造壁の保存には大変な努力が払われていると思

われます。この一軒だけで門前通りの景観を支えているような観がありま

す。「銭湯・山の湯」は, 入り口に廃業のお知らせが貼ってありますが, 建物

も一緒に消えてしまうのでしょうか。

   
A 表具師の家 1993年撮影  A 2011年現存 

   
B 銭湯・山の湯 2011年撮影 B 廃業のお知らせ  




《 根津神社前の焼カリントウの店 》

「根津神社」の正面にあった民家は, 2011年現在は焼カリントウの店に建

替えられています。焼かりんとうは, ユーミン (松任谷由美) のお気に入りと

のことで, 参拝の帰りに立ち寄る人を結構見かけます。

   
J 根津神社前の民家 1993年撮影 J 2011年建替・焼カリントウの店 




《 根津神社 》

1993年には真っ直ぐな笠木だけの素朴な鳥居であったものが, 現在は両脇

に灯篭を配し, 反りのある堂々たる鳥居に代わっています。しかも鳥居から

楼門へといたる参道は, 1993年当時には道路からも見えるようなシンプル

な構成でした。現在のものは, 参道の前面と左右が樹木で覆われ, 楼門を

隠すことで神社全体の神秘性を創り出しています。さらに楼門の前では東

西の池をつなげ, そこに欄干の付いた反り橋を架けました。こうして根津神

社は, 短期間の間により豪華により華美に変身したのです。


深堀コーナー WHY (1)  根津神社の何が変わったの? ★

   
@ 根津神社の鳥居 1993年撮影 @ 2011年鳥居の位置と形が変更 
   
@ 右に曲がると楼門へと続く反り橋  @ 反り橋とツツジの植栽 2011年撮影 




《 洋風の民家 根津教会 》

根津神社正面から門前通りを少し戻り, 左折すると洋風の民家があります。

いつも玄関につなぎがぶら下がっていて, 下町散策マニア (地形を見て東

京散歩) の間では有名な建物です。この洋風の民家のある道路を真っ直ぐ

に進み, 突き当たったら左に曲がると, 可愛らしい赤い帽子を被った「根津

教会」が見えます。さらに根津教会を通り越して, 道路が狭くなった付近に

は, 古い民家や長屋がそのままの姿で残されています。興味ある方は一瞥

の価値ありです。


   
K 1993年撮影 K 洋風の民家 2011年現存 


   
 R 根津教会  R 2011年撮影





【 根津一丁目の坂道と階段 】


根津一丁目と本郷台地の間は, 4mほどの段丘になっていますが, 根津神

社の境内から本郷台地にある「弥生」の町までの部分だけは斜面となって

います。その斜面に沿ってツツジが植栽され, 春になると50種3000株が咲

き乱れて圧巻 (ツツジ祭り 4中旬〜5月5日) です。この写真は5月9日のも

ので, ツツジの盛りは過ぎてしまったようです。根津神社以外のところでは,

段丘の間を行き来するために, 権現坂, お化け階段, 異人坂の三つで結ば

れています。


   
 本郷台地の段丘  境内から本郷台地を見上げる 




《 権現坂 登りの道の景観が素晴らしい 》

根津神社(権現)の正面を通り過ぎると, 右に廻り込むように本郷台地へと向

かう権現坂があります。江戸時代末期に作られた坂で, 森鴎外は小説「青

年」の中で, この坂を「Sの字をぞんざいに書いたように屈曲している」と書

いたことから, 通称は「S坂」とも呼ばれるようになりました。この権現坂は,

特に本郷台地に向かう登りの道の景観が素晴らしいです。「スケッチしなが

ら東京散歩」(視覚デザイン研究所)の本の中でも, スケッチに相応しい場所

として選ばれているほどです。右上の奥にある民家が, この道路の景観に

命を与えていようです。



★ 深堀コーナー WHY (2)  権現坂の何が素晴らしいのか? ★


 
G 景観のすばらしい権現坂 




《 おばけ階段 今と昔 》

おばけ階段の詳しい由来は知りませんが, 古い写真を見ると, かつてこの

階段は人が一人通れるほどの幅しかなく, そのうえ両側から塀が迫ってい

たので, 狭く長く暗いようでした。これに樹木が階段を覆うとすれば, 日の当

たらない苔むしたような陰鬱さで, お化けが出でも不思議ではないかもしれ

ません (おばけ階段) 。現在は写真のように, 手すり付の三車線に拡張され

, 明るく健康な階段に変身しているので, もはやお化けは出そうにもありま

せん。


   
古い階段(左)と拡張部分(右)  左に廻り込んむようにして降りる 




《 異人坂 根津の異色な風景 》

この坂を上った本郷台地には, 明治時代に政府から新しい国家作りの指導

者として招請された多くのお雇い外国人教師が住む官舎がありました。こ

の官舎に住む外国人教師は, 不忍池や上野公園の自然を散策するために

, この坂を下って行ったそうです。当時は外国人は物珍しかったので, 自然

と異人坂と呼ばれるようになりました。今日, この坂を一人登って行くと, 下

町的な根津の雰囲気とは異なる, 里の物静けさが感じられます。それも, 昔

一人で歩いたような懐かしさがこみ上げてくるから不思議です。根津を訪れ

た際には, 是非とも立ち寄りたい場所の一つです。


   
 ゆったりしたカーブを描く 石垣と木々に囲まれた道 


   
下りは根津 上りは本郷台地  右に曲がると「おばけ階段」へ 




【 根津一丁目のすまい 今昔物語 (続き)】


   
L 民家 1993年撮影   L 2011年建替

   
屋敷 1993年撮影  2011年建替


   
G 瀟洒な民家 1993年撮影 G 2011年空き地 


   
民家 1993年撮影   2011年一部現存


   
民家群 1993年撮影   2011年建替


   
 路地 1993年撮影  2011年現存 


   
 長屋 1993年撮影  2011年現存 





【 深堀コーナー WHY



深堀コーナー WHY (1)  根津神社の何が変わったの? ★


結論から云えば, 根津神社の参道を豪華で華美な造形で飾り, さらに神社

全体を深奥性と神秘性のある空間に変身させたのです。「豪華で華美な造

形で飾る」という点は, 鳥居の形や反り橋を見れば, 誰の目にも明らかと思

われます。鳥居は大別すると, 神明系と明神系の二種類の系統があって,

1993年には素朴で単純な神明系の鳥居であったものが, 現在では反りの

付いた堂々たる明神系の鳥居に代わっています。しかも, 横綱の土俵入り

を, 両脇に控える露払いと太刀持ちが花を添えるかのように, 鳥居の両脇に

は灯篭が置かれるようになりました。

もう一つの「深奥性と神秘性のある空間に変身」させたというのは, 専門的

な空間の話なので, 一寸だけ詳しい説明が必要かと思います。神社とは神

の社(もり=森)を指し, 神の降臨する「神域」を意味しています。鳥居は, そ

の神聖な神域と, なにかとせちがらい俗世間を分ける「結界」としての役割

があったのです。鳥居の手前は俗世間であり, 鳥居を潜った参道の向こう

側は神の世界という設定なのです。1993年当時, 鳥居と参道は一直線に並

び, その延長線上に楼門が配置されていたので, そのすべてが道路からは

透けて見えました。江戸時代であれば, 交通手段は「歩き」なのですから, こ

の配置でも問題はなかったかも知れません。しかし江戸時代末になると, 根

津と本郷台地を結ぶ権現坂が作られ, 人の往来が頻繁になり, そして戦後

には鳥居の前を自動車が通り始めるようになると, 「神域」としての「ありが

たみ」が薄れることになります。

道路と神社,. つまり俗世間と神域は, 同質で等価ということになってしまっ

たのです。現在の鳥居と参道の大幅な改修は, 神社の「神域」としての「あ

りがたみ」を復活させることにあったと思います。「ありがたみ」を創るため

には, まず楼門を含めた境内全域が, 道路側から透けて見えないようにす

る必要がありました。そのために, 鳥居の位置を門前通りの入口に近いとこ

ろに移し, 参道は道路と斜めの角度をもって作られたのです。このことによ

って, 参道と楼門の軸線をずらし, 参道の距離を長くとることができました。

しかも, 参道の前面と左右を木立で目隠しすることで, 道路からの視界は完

全に遮断することができたのです。参拝者は, 鳥居の位置から楼門は直接

見えません。参拝者が参道を右に廻りこんだときはじめて, 神社の姿が現

れてくるという演出なのです。神の住まいである境内に, 「深奥性」と「神秘

性」を演出したのでした。これは, 桂離宮などの回遊式庭園でよく使われる

空間的手法の一つでもあったのです。





★ 深堀コーナー WHY (2)  権現坂の何が素晴らしいのか? ★


何が素晴らしいかと云うと, この権現坂には人が進むに従って, 目印となる

べき焦点が, いくつか作られていることです。権現坂は, 根津神社の正面に

立ったとき生い茂った樹木によって坂の全貌は見えません。坂を右に廻り

込んでいくと, 駐車している車の右手側に, 古い民家がちらりと見えてきま

す (逆光なので民家が見えないのが残念)。さらに登っていくと, 古い民家の

全体が見えるとともに, 重なるようにして右の奥上に別の住宅が目に入って

きます。そして, 古い民家の脇に立ったとき, 奥上の住宅の全体が視界に入

るのです。もし, 奥上の住宅が「無」かったとしたら, ヘソの「無」いカエルの

お腹のように, 締りが「無」いのです。ビキニ姿の若い女性にヘソが無かっ

たらどうでしょうか。ヘソはデザイン上の焦点でもあるのです。古い民家や

奥上の住宅は, 偶然に建てられたのでしようが, 何者かの手によってデザイ

ンされた「坂の景観」のようでもあります。


   
樹木の生い茂った神社入口  右に廻り込と民家が見える 


   
民家と奥上の住宅が重なる  奥上の住宅全体が視界に 








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